日本語って難しいよね、という話です

ふと日本語の文法書って売っているのだろうかと思ってAmazonで検索してみました。

 

基礎日本語文法・改訂版

基礎日本語文法・改訂版

 

 …………わっかんねー。外国語話者のネイティブ達も母語の文法について造詣が深いわけでもないだろうし、自分の母国語たる日本語の文法に詳しくないのは普通なのか。そもそも外語としての日本語と国語としての日本語が同じものとして扱って良いものかも曖昧模糊もこもこ。正しい文法ならそれが伝わるというわけでもないし、おざなりだろうがなおざりだろうがニュアンスが伝わるなら良くね?よくないですよね〜わかります。そうか?

「水!」って言ったら「水(が欲しい)!」とか「水(をあげる)!」とか「水(って書いてミトちゃんのミだぞ)!」って意味に察することが出来るし、ことコミュニケーションに話を限ってしまえば文法的に正しい日本語でなければならない場面というのはそもさん無いのかも知れませんね。とか言うのが書いてあるのはこの本。

 

なんのための日本語 (中公新書 (1768))

なんのための日本語 (中公新書 (1768))

 

 国語という言語と日本語という言語の相違については議論の余地ありシノアリス。メンテ大変そうだよね、やってないけど。

 

日本語の発話法についても同様のことは言えるだろうと思います。正しい母音を発するための口の形なんてものがあるなんて、ぼかぁ少しばかり生きてきましたけどアナウンス研究会に入るまで知りゃしませんでした。でもそれがために「は?いや何言ってるかわかんねぇけど?ヴァじゃなくてバやろ?バルスバルス。これだから市民は」なんて煽られたこともないです。ていうかそれぐらい許せよひと昔前の音声認識かよ。寛容であれテクノロジー。施行をシコウと読もうがシコウと読もうがわからないことはないもんね。というわけで正しい日本語でないなら伝わらないということは無いんだけど、でも正しくはないんだよねぇ。それはつまり言葉を使う最終目標をコミュニケーションの成立にしているのか、正しく運用することにしているのかの違いに過ぎないのでしょうけど。正しい発話法は否定されるべきではないけど、全員が全員できる必要もなくて研究したい探求したいトムソーヤを心に飼育している某が好き勝手すれば良いのです。となると翻ってね、やっぱり日本語の文法についても全員が全員正しい文法で運用する絶対性も存在しないのではないのかね?だからやばい語彙でもワンチャン許してもらうのもとりまアリじゃね?(合ってる?こういう使い方で合ってる?)

 

ついでにね、読み書きとか言うし表記法についても少しカキカキ。漢字かな交じり文というのが日本語の正しい表記法として異論ないだろうか。それに含まれるのは平仮名、片仮名、漢字という三要素だけで問題ないだろうか。ないよな?それじゃあ突然だけど、

a i u e o

これをなんと読みましたか?もしかしてもしかしてだけど「あ い う え お」じゃあねぇだろうなァ!?僕はそう読んだよ。これはアルファベットですけど、英語にあいうえおなんて語の並びはないよねぇ。アルファベットは英語やらサム言語ズの表記法として認められているけれど、実はこのように用いられる時は日本語の表記法として認められるのではないですかね。つまり漢字かな交じり文というのは正確ではなくて、そこにalphabetも含まれて然るべき。そう考えるとアラビア文字も含まれるのかっていうとどうなんだろうね、日本語を表現することは可能だろうけど、ほとんどの日本人はそれを認識出来ないだろうから表記法として認められないかもしれない。なのにアルファベットは含まれるというのはPCの普及が少なからず貢献しているのは言うまでもなく。ローマ字入力なんてものが生まれてしまったせいで僕らの日本語は変わってしまった!昔はあんなやつじゃなかったのに!いみじ!

 

まぁ言葉なんてね、どう使おうと自由なんですわ。僕らはみーんな生きているー、生きーているから変わるんだー。僕らがどう使おうが、そこにどう使っていくかという決まりみたいなものが自分にあればそれでいいのではないですかね。それじゃ、ぐっばい(外来語)