異世界転生したらフェミニズムの世界だった

 僕は普通の高校生(中略)こうしてトラックにひかれて転生した先はフェミニストしかいない世界だった!案内役の女神は女性的イコンを濫用しているとして男性神しかいないし、冒険に出るためのサロンの案内役には女性に事務職などさせてはいけないウーマンリバティー総合職なので男に囲まれ、冒険に出るためのパーティは当然に男女同数の決まりがあるので露出を最大限に控えた黒装束に身を包んだ能力度外視キャリアウーマンがやってくる。こうしてちぐはぐなチームワークを発揮しつつやってきたのは始まりの村ミサンド。ここでは男女同権運動として女性のみが行える職業を女性性がみだらに用いられているとして廃業に追い込んでいた。レースクイーンのA子もその一人だった。A子はこの仕事に誇りを持っていたし他の仕事に就職するあてもなくフェミニストの目につかないところで女性ならではの’お仕事’をするしかなくなった。わーなんてことだ高校生の僕にはそのお仕事が何かをお伝えすることができない。声高に主張するフェミニストたち。「次は家事代行よ!家事代行を女性に任せるなんてセクシズム的に否よ!家事代行は悪!こんな職業が許されてはいけない!」ガッキーーガッッキーガッッキーガッッッキーガッキーガッきッキーガッキーガッきキーガッキーガッきーーガッキーガッキーきーがっきーがっきーーがっきーがっきーッきーキーーーー。彼女ら特有の訴える合言葉らしい。「ちょっとよろしいですか」僕が問いかけると彼女らは途轍もない剣幕で捲し上げる。「よろしいもなにも貴方たち男が存在しているから私たちはこうして活動しなくてはならないの!あーあ!男のいない世界だったらいいのになあ!」「うわあなんかごめんなさい」「謝るくらいなら男に生まれたことを謝りなさい!女はこんなに大変なのに!だからこそ家事代行から女性を排除しなくてはならない!職業家事手伝いなんて許されるはずがないわ!リバティー!古い慣習を打ち払え!」先頭に立っている女性はとても太刀打ちできる気配がなかったので中間ぐらいで団体に参加している女性と話すことにした。「家事代行廃止しちゃうんですか」「ええまぁ当然ね」「でもそれで仕事を失う人もいるんじゃ」「仕事を失うからって性的平等でない職業を残す言い訳にはならないわ」「それはそうだけど」そこまで言ってから僕はとあることを思いついた。これはあまりに革新的すぎる意見であり現世界においては理解を得ることができないかもしれない、異世界でチート能力的なあれを手にした強すぎる僕にとっては当たり前のことではあったけれど他の人にとってはアヴァンギャルドに過ぎた。しかしこれを言わないわけにはいかない、つまり言いたい。「人は奪うのみではないんだ」「どういうこと」「家事代行をなくすのではない(ここで本来ならしょうもない理屈を並べ立てる)家事代行に男性も就職させるのだ」「な、なるほど。確かにそれならば男女同権を達成することができる!さすが異世界の人!まさかそんな考え方があるなんて!すごい!」「やれやれまったく困ったもんだ」「権利をなくすのではなく増やすという考え方!恐れ入ったわ」数々の女性たちが僕の考えに感銘して団体から徐々に離れていく。それにもかかわらず先頭の女性たちは男性におもねった女性たちとして彼女らの行動を鑑みることなく批判を始めるに至った。先頭集団はどこに向かっていくのだろうか彼女たちの目指す桃源郷には果たして何人が残っているのだろうか。それを見つめながら私は顎先にまで伸びた髪をなでる。そろそろ切らなくては。男装の麗人と呼ばれる僕であるために。

「#1いいねごとに今期履修した科目の感想を言う」を勝手に言う。

授業について好き勝手言います。

 

1.医事刑法(甲斐教授)

 出席を毎回確実にとる、補講でもとる。しかし成績評価は出席とレポートのみ。なので課題図書として指定された本を買うなり借りるなりしてレポートを仕上げる。授業内容はそのまま医療と刑法、ひいては法律・倫理と絡めて大まかなガイドラインをお話しいただける。テストがないので真面目じゃない人もいるけれど、聞いていると面白い。自身が出演した番組を流しながらしゃべるのはやめてほしい、二次元と三次元のどちらが話しているかわからない。

 

2.債権総論(鎌野教授)

 優しすぎるその語り口が 学生たちの睡眠意欲を掻き立てた。

 でも話を聞いているとちゃんと説明されていたんだなぁと終わってから思う。出席はないけれど意外と出席している人は多い。レジュメは目次のような役割しかないので、理解には教科書が必須。というかあらかじめ教科書を読んで先生の言葉を読み解いた方が早く総体を知ることができるかもしれない。

 

3.物権法(大場教授)

 であるからして、話し方に特徴がある先生。合理的な思考をしているのが話を聞いているだけでよくわかる、試験では脳内の大場先生にお話しいただくだけで法律的な論述ができるようになる頭の中に住む妖精さん民法への苦手意識が若干弱まったぐらいには面白く、講義が楽しみだった授業。ノートをとるのは必死だった。

 

4.会社法(黒沼教授)

 プレゼン資料を事前に提示しておいてもらえればよいものをギリギリに上げるギルティ。そして修正も多いのでわからなくなる、しかも試験はその修正したごちゃごちゃしたあたりから出たのでなおさらギルティ。淡々と教科書の内容を消化していくだけなので、プレゼン資料は教科書をまとめる労力を割く道具として機能する。会社法が好きか嫌いかによるかも。まぁでも結構面白かった。単位ください。

 

5.教育法II(廣澤教授)

 一限ながらもしっかり出席をとる。授業内容として教育法の沿革から基本的な論点をわかりやすくお話ししてくださる。しかもレジュメも事前に大量に上げてくれるので学習意欲が高まる。来年は教育法Iをとりますのでよろしゅう頼んます。

 

6.法社会学I(楜澤教授)

 以前お話しした時に良い人だぁ、と思った。授業はそもそも法社会学は何かというところを歴史的世界的に、縦軸横軸で知ることができる。基本的に哲学的な言葉選びで、なおかつそれが流暢に繰り出されるものだから慣れていない人はその睡魔に抗えないと思われる。個人的には受けていて一番面白かった。

 

7.国際法II(萬歳教授)

 萬歳教授、バンザイ\(^o^)/

 

8.現代家族と法II(棚村教授ほか)

 オムニバス形式でそれぞれの分野の専門家や実務家の方をお招きしてお話を聞く形式。出席が毎回あり、毎回配られるレジュメをまとめておけばテストも怖くはない。大学らしい授業といえるし、これだけたくさんの人の話を聞くとなると本来なら結構なお金がかかりそう。

 

9.英語(乙黒先生)

 AIについての文献について持ち回りでグループプレゼンテーションをする。事前にそれぞれ文献を読み、毎回それについて小テストが行われる。授業というよりは発表をしてコメントをもらうのが主であるので、他人が発表しているときの手持無沙汰感やばい。でも先生は学生をよく思ってくれている。好き。

 

10.英語(鈴木先生)

 これも持ち回りで当てられた箇所を和訳していくため、他人の場所では睡魔に負けてしまう。いろいろな内容の文献を扱ってくれるのだが、正直一番面白いのは文献の内容よりは先生が合間合間に挟んでくださる豆知識というには少々マニアックな知識。めちゃくちゃ優しくていい人だなぁ。

 

11.西語(渕上先生)

 土曜一限でなければ評価ぶち上げだった。スペイン語の基礎をちゃんと教えてくれるし、やるべきことを明確に示してくれ、小テストのほかに任意のレポートや期末テストでありとあらゆる手を尽くして救済してくださる。なんだこれ、振り返ってみると神だったのか?

アニメによる犯罪増加からファンの質問題

 アニメによる犯罪増加問題は議論が尽きそうにない。オタク文化を規制するべきだという有識者オタク文化と犯罪は全く関係がないと主張するオタクとデータと統計から犯罪増加を否定する人間と表現の自由の立場から憲法学的に反駁する者エトセトラエトセトラ。いまだに根深い。

 アニメによる犯罪増加が叫ばれる昨今、とはいってもその源泉はどこにあるのだろうか。まさかドラえもん(日本テレビ版)が放映されていた当時からこの懸念があったとは考えにくい。1970年代からこの言説に身を投じている有識者がいたとするならばきっと預言者にジョブチェンジするほうが賢明な判断だっただろう。異世界転生しよう。ならばそれはいつから生まれた主張なのか。

 徐々にその熱は日本全体に広まっていったと考えるのが正しいのであろうが、始まりはやはり宮崎勤であろう。この凄惨な事件を知らないのであるならば、適当に参照してほしい。

宮崎勤 - Wikipedia

 この項目の中で特に注目していただきたいのがこちら。

アニメ・漫画の影響

宮﨑が暴力的、性的、猟奇的な内容の漫画やビデオを多数所持していた事から、一部マスコミではそれらの悪影響を主張する意見も見られた。実際はそれら内容の漫画やビデオは、宮崎の膨大なコレクションのごく一部であった。宮崎の趣味の特異性は、むしろジャンルに関係なく無作為に多数の漫画やビデオを収集していた事とされる。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件#影響を参照。

この事件により「有害コミック騒動」が活発化してアニメ・漫画・ゲームなどが人間に悪影響を及ぼす風潮が高まり、マスコミやPTAなどでの議論となった。後の「有害コミック騒動」で、事件の代表格である「幼女連続誘拐事件」が取り上げられている。

  ここから有害コミック騒動、ひいてはオタクバッシングというものが生まれた。ここからは推察となるが、横並び一線の仲良しこよしを是とする日本人性においてオタクという存在が気味悪く映るのは当然である。オタクバッシングは人権保障や個人の自由がさほど浸透していなかった時代においては必然のものであったといえる。

 しかし、宮崎勤オタク文化ゆえに犯罪を犯したのだろうか。

 これにはうなずくこともできるが、大きく首肯することは軽率である。暴力的、性的、猟奇的な内容の漫画やビデオを所持していたという事実は確かに、オタク文化に触れていて、オタクであることがいえる。当時、晴海で行われていたコミックマーケットに参加していたことからもそれは否定されない。露骨に性的な作品に触れることによって自身の欲求を抑えるに至らなかったのかもしれない。

 だが、それは作品が悪いのであろうか。

 もちろん暴力的、性的、猟奇的な内容の漫画やビデオは諸手を挙げて礼賛されるようなものではないだろう。しかし、それはあくまで作品で、フィクションなのだ。宮崎の内的欲求を満たす手助けにはなったに違いないが、それをトリガーとしてとらえるのは安直に過ぎると言わざるを得ない。メタ的な視点に立てば、オタク文化が犯罪を増加させるのではなく、犯罪を犯すような人間はオタク文化(その中でも特に暴力的、性的、猟奇的なもの)も好んでいる。そのように考えるのが合理的であろう。

 オタク文化は非常にグレーゾーンだ。サブカルチャーとして扱われることもある、その源はやはり文化の主流から外れた者たちが作る文化である。規範的で一般的な文化になじめなかった人間が流れ出てくることは容易に想像できる。

 するとどうだろう、オタク文化は犯罪を作るのか。

 答えは否でよいだろう。文化に犯罪を作る意思はない。文化は人を殺さない。犯罪を起こすのはいつも人間である。オタク文化と犯罪増加が統計学的に正しい非礼を導き出せないのならば、疑似相関として片づけておしまいだ。つまり、オタク文化ではなく、オタクが犯罪を起こすのだ。ならばオタクを規制するのか?

 それこそ人種差別であり、また人間が内在的に犯罪性を有している限り、すべて人類は規制されなければならないことになってしまう。人間をラべリングして一括で規制しようとしている時点でこれは誤りである。規制は不可能だ。オタク文化が犯罪を生むとは言い切れないが、オタクの中から犯罪者が、または何かしらの迷惑行為を行うものが生まれ出るのを防ぐのもまた不可能である。放火犯の出現を防ぐことが原理的に不可能であるのと同じだ。

 ならばこれは避けようがないのか。うん、そうだと思う。

 ファンというのは得てして気持ちが悪い。人間は集団になることから社会性を持つ動物とされる。しかし、集団になることでむしろ社会性を失っているのではないかとすら考える。例えば、サッカーファン。

urawa-reds.com

 いまだに私は記憶に新しく、サッカーといえばこれ!という感じである。明らかに常軌を逸した行動である。自らの応援の統制がとれないから外国人はお断り。自分の都合で好き勝手にやる。いや集客の観点からしても、なぜ観客ごときが選別を行うのか。これもファン、いわばサッカーオタクが起こした悪行といえるが、サッカー文化が悪いのではない。

 続いて、作家のファン、ハルキスト(村上春樹のファン)。

news.livedoor.com

 これはテレビでも楽しそうな集まりとして紹介され、問題にあげるようなことではないのではないか。そう考える人もいるだろうし、否定しない。しかし引用の中にあるように、自分たちのことしか目に入っていない。

小木はそこで、最初の1~2年だったらファンが熱くなるのも理解できるとした上で、「作者の村上春樹さんのことなんて考えないで行動してるでしょ。自分たちに酔ってるような」と指摘。

  こうした姿を見せることがだれに不快感を与えるのか、村上春樹のそのほかの読者またはこれから読もうとするものに障壁となるのかを考えていない。これで作品が悪いと主張する愚か者がいたら希望の国エクソダスでも読ませればよいと思ったけどそれは村上龍だった。やはり、ファンが、作家オタクが迷惑行為を生み出すのだ。

 

 オタク文化と犯罪が結び付けられることが多い原因について、オタク文化の普遍化と尖端性多様性を語る必要があるとも思うが疲れるのでいやです。

 とにもかくにも、犯罪を起こすのはオタク文化ではなく、オタクである。それは防ぎえないし、どの分野においても起こりうることなのであろうと思う。文化を規制するべきではない。全くファンから犯罪者を排出しない、素晴らしいファン層を持つ文化ってそもそも存在するんですかね、そういう話でした。

 

 

FGO各章に対する雑感(偏見)

 注意として僕はFGOそこそこ好きです。ストーリーを知っている人向けに書きます。また、イベントについては触れず、第一部完結までです。

 

【序章】◎

 物語の導入として必要な(Fate世界の前提を含めた)舞台説明、目的、謎、心を動かす展開が過不足なくあった。ただ、もしFateでなければストーリーだけでここまで地味だと人を呼べたのか微妙。正直、初期メンテの連続と動作のストレスがあって良い印象があまり残っていない。

 

【第一章】◎

 いざ特異点修復にむかう初回。旅をして問題の中心部に向かっていくシステム理解につとめた。ジャンヌ・ダルクをメインに据えて尚且つジャンヌ最強の環境だったのでサポートのジャンヌを利用した人が多かった。敵対象ジャンヌ・ダルク・オルタというわかりやすい対立軸から最後の展開は意外性もあり面白かった。ワイバーン多くね。

 

【第二章】〇

 待ってましたローマ皇帝。とは思ったのだけど、地味だ。史実に基づきつつ歴史世界を探訪する気分を味わうことは出来た。ただ地味。ネロ帝の内面世界に焦点を合わせたのは良かったけれど、主人公的には置いていかれた感じ。ネロ帝を好きになったかどうかで評価は分かれそう。余だよ!

 

【第三章】△

ドレイク姐さんと海の旅〜ギリシャ共と〜。ひたすら会話劇をしていた気がする。世界を救ってる感じ全然しねーぞ。地方の町おこししてるのかと思っちまったぜ。近隣トラブルみたいなのを読んでいた。ティーチは好き。

 

【第四章】△

 ジャックとかナーサリーとかロリコ……ロンドンの話。 全体を通して何がしたかったのかよくわからなかった。これについては僕の読解力がないのかもしれない。ただ最後の方の強キャラ乱入で強制終了させられた。僕はここらへんでストーリーに対する興味が失せた。

 

【第五章】△

 しんどい。読むのが辛すぎてスキップしてしまった。雑魚戦闘の多さとキャラクターを馬鹿みたいにたくさん出してきたせいでどれもこれも浅く広く手を伸ばして何も残らなかった。ネロ帝とは逆のパターン。事実のみを淡々と追っていた。

 

【第六章】◎◎◎

 円卓の皆さんこんにちは。概観として円卓、エジプト、アサシンの三つ巴の構図を最大限活かしていた。それぞれの陣営に物語があるが必要以上に語らず、見せ場と盛り上がりを随所に設けていた。それでいて終章への布陣もある、文句なし。旅のお供に円卓の一人ベティ、三蔵を迎えていたのもにくい。シリアスになりすぎないような調整。システム的な部分でいうとゲーム内では星1であるアーラシュの魅力を知らしめたり、円卓一人一人が中ボスとして能力を持っていたのもゲーム性が高かった。またマシュの宝具がわかる展開も熱い。この話についてだけはいくらでも褒める部分があるのでやめどころがわからない。人物の内面とストーリーの展開とゲームとの融和性とバランスよく作られていた。このレベルで作れるなら最初から作ってくれ。

 

【第七章】◎◎◎

 これまた面白い。賢王ギルガメッシュと三女神同盟との対立から話が展開していくのもわかりやすい。一人一人の女神との対話ギルガメッシュとキングゥとの対話。携帯の普及でなくなってきた周回型ギャルゲーみたいに、ひたすら会うことで人間的魅力に気づいていくのも良い。そこから話が急展開してラフムやケイオスタイド、人類悪など'世界の危機'感が爆発。最終戦闘における賢王は素晴らしいとしかいいようがない。演出にも多くのこだわりが見えた。一生ついていきます。そして実装当時はこの勢いのまま終章へと繋がっていくライブ感。

 

【終章】◎◎

 魔神柱狩りが素材集めになって興が削がれてしまった気もしたが、ラストバトル。たびたび出てきたソロモンちゃん。共に戦ってきたマシュ、ロマニとの対話、関係性を持ってしてこの話の大きな部分を占めていた。敵とかどうでもいいんだけど、とにかく終章にふさわしい展開と美しいフィナーレだった。

消費者の流入によるコンテンツの陳腐化

 インターネットのコンテンツが次第に面白くないと感じるようになってしまったのは何時からのことだろうと少年時代を思い返してみたのですが今でも割と面白くて普通に好きです。それはともかくとしてPCやスマートフォンが一人一台の時代に突入するにあたって多くの人が単なるコンテンツの消費者から供給側に回ることも多くなってきました。例えばツイッターなんていうのは広義のSNSになると思うのですが、コミュニケーションツールの一角として利用するならば情報をインターネット上に提示するのは必然であり、ただの独り言であったとしても発信していることには変わりありません。私もツイッターは2010年ごろから利用し始めた新参者なので何を言っているのかと思われるかもしれないが、聞いて。ツイッターってなんだか変わったよな?

 改行をしてみたぞ、初めまして改行。

 私がツイッターが変わってしまったと思う点は簡単に言えば母体数の尋常ではない肥大化である。数年前の基準と比べてバズった(これがいつから使われている単語であるのかも考えたいところではある)時のRTやいいね(旧お気に入り)の数が平均して明らかに増加している。

 

www.huffingtonpost.jp

また、これまで多かった10代から20代にかけてのユーザーだけでなく30代〜40代のユーザーが増えたことが、ユーザー数の増加に繋がっていると話した。

 これが肥大化したコンテンツの正体である。完全なる消費者として新たなるユーザー層が参入することによって母体数が増加したのである。新たなユーザーはコンテンツで昔話題となったものを知らないためにかつてコンテンツをにぎわせたツイートが再びリバイバルすることも増えた。そして思想信条を広めるための宣伝ツール、広告ツール、ライフラインとしての役割までも担うようになってきた。そして仄かにお金のにおい。別にこれによって何らかの弊害が生じているわけではない、しかしコンテンツの性格とでもいうものが変化してしまったのは確かである。昔のツイッターはとりあえず知らない人を百人フォローしてみろ実名は出すなというのが一般的であったと思う。しかし今となっては知り合いをまずフォローしてアカウント主が誰か識別できる程度に本人の情報を含ませるのが一般的であると考える人が多数派を形成してきたのではないか。かつて2ch(現5ch)の下位互換であると苦言を呈するような輩も散見されていたツイッターも2chの衰退の陰で勢力を広げてきた。

 ここで2chの衰退についても少し考える。と言っても私は書き込みすらしたことがないのであくまでも外側から見た時の衰退だ。昔の2chの印象と言えば閉鎖的で陰気であり、変人の巣窟そのものであった。そこでいくつかの面白いやり取りや言葉が取り上げられ、まとめサイトなるものがつくられ、2chに書き込まずとも面白い部分のみを消費する層は増えた。PCを扱うことがより身近になると自らも書き込もうとする者が増え、より肥大化した。それに反比例するかのように面白いやり取り言葉が残されるコピペの数は減っていった。尖った性格をしていた2chというコンテンツは多数の流入によって多様化ではなく均一化を迎え、同じようなつまらない会話をどこででも同じようにする場になった。コピペは死んでしまったのか、そうではなく、生きる場所がツイッターへと変貌した。初めは2chまとめとして機能していたbot(登録したツイートを自動で発信するロボットアカウント)などのツイッターアカウントは鳴りを潜め、次第にツイッターでつぶやかれた面白いツイートをまとめるアカウントが増えてきた。これをパクツイアカウントと呼ぶことにする。

 こうしたパクツイアカウントの登場と、さらに匿名の書き込みである2chと異なり特定のアカウントから発信されるツイッターはより多くの注目を集めることで自己顕示欲を高める要素を持ち発信する欲望を掻き立てることになった。わたしはここで2chは発信するという機能においてその役割を終えたと考える。そしてそのパクツイアカウントなどより自己顕示欲をより露わにしたのがバカッターではないかとも考えられるのだが脱線してしまうので書き留めるのみにする。

 2chと同じようにしてツイッターにも多くのユーザーが参入してきた、デジタルデバイドという参入障壁はもはや何の意味もなさず、ツイッターユーザーという性格は捨象され、ツイッターは一つの手段としての性格を前面に持つようになった。多数を受け入れる選択は様々な思考を受け入れることに同義であるのは疑うべくもないが、しかし人間というのは捕捉できる数は限られている生き物であるので、どうしても全体の上澄みの部分しか味わうことはできない。そんな状況の中で母数の増加は、単により平均化されたコンテンツの享受ということにしかならない。やはりツイッターは変わった。

 消費する側と供給する側の壁が取り払われることは悪いことではないのだろう。しかし近年のTVコンテンツについても、より一般人に近しいような人物が求められたり庶民感覚を追及されるようになった。これは視聴者としての立場が発信者と溶融してしまっているかのように感じる。視聴者参加型の番組も昔からあるにはあったが、それはあくまでも視聴者は視聴者という領分から出ることはなかった。有り体に言って、視聴者が余計なお世話をするようになったのだ。

 こんなツイートがある。

 コンテンツの隆盛をずっと経験してきたという趣旨のツイートだ。逆に言うと、この世代の人間が経験したのちにコンテンツは縮小してきている貧乏神である。参入によるコンテンツの肥大化、そして捕捉できる範囲が限定されるゆえの均一化、これによるコンテンツの縮小または変化、これを私はコンテンツの陳腐化と言おう。人は刺激を求めて新たなコンテンツを求めてさまよう。インターネットというあまりにも早く移り変わる世界だからこそ顕著にこの性格が表れているが、食事、ファッション、日々の生活のどれにおいてもそれは言えることなのかもしれない。

 懐古厨ではないので昔のほうが良いとかそういった話をしたいわけではない。ただ事実として多くの人間の参入はコンテンツの性格を普遍化してしまう大きな力を持っているといいたい。これに対する僕の態度は、あくまでも、コンテンツの陳腐化だ。

 これまで参入障壁が機能できなくなったために陳腐化したと私が考えるコンテンツ。2ch・ニコニコ動画・Twitter・Facebook・bokete・ネット小説、エトセトラエトセトラ。次は......Instagram?

 それが流行。

朝ドラ「ひよっこ」が完結いたしました。

好き嫌いって生きていく以上は必ず向き合っていかなくてはならない難しい問題だと思うんですよね、それこそすべてを好きになることもすべてを嫌いになることも不可能と言って差し支えないくらい両極端ってのが存在しえないものなんですよ。そもそもこの世で白黒はっきりしてることなんてあんのかよって感じですけどねパンダの白と黒の境界線とかあんのかな。パンダの白と黒の境界線に触れた時真理の扉が開かれる錬金術師の話とかないのかな。ハバネロ限界熟し 売るつもりあるけ?misonoってタイトルで。パンダといえば新しく上野動物園でシャンシャンとかいうけたたましいお名前の赤さんが健やかに成長なさっているようです。小池都知事が名前発表しているのに「イメージアップの策に使うな」とか批判みたいなことしている人もいましたが上野動物園が東京都の管轄なので許してやってくれ。希望の党の公認候補にシャンシャンは含まれているのかどうかがこれからの日本の展望を左右するな間違いなく。え、やっぱり政治ネタはまずいですかね。野球と政治と宗教についてはお口チャックでした、好き嫌いとかの問題じゃあないな。まぁここで大きく舵を取るワンマン船長、ついてこい。人によるとは思うのですが僕は朝嫌いなんですよね。また日が昇るじゃないですけど新しい一日がやってくることに幸せを感じるのではなく苦痛を生じる人間として生きるのに不便なオプション機能を備えてしまっているんですがそれでもココ最近は結構毎日が楽しみなくらいにはよるベッドに入るのにワクワクしてソワソワしながら22時くらいには寝てまうこともありました。今日日デジタルネイティブの園児達ですら起きてる時間なんだけどな。それっつーのも毎日の楽しみがあったからなんですよね。やっぱり日々の退屈の中に身を置いているとどうしても毎日を生きることが惰性になってしまうことがあるから週刊少年ジャンプを読んでブルーマンデーを乗り切ろうなクルー達!でも船長実は週一の楽しみだけじゃ一週間を乗り切ることが出来ないから週刊少年ジャンプは読んでないんだ!朝ドラ見てるんだよ!ということでここまで前置きです。NHK連続テレビ小説、月曜日から土曜日まで8:00~8:15の15分間を半年間かけて150話そこそこで描く、通称アサドこと朝ドラなんですけどいやいやシリア情勢とかの話はしてないですよ政治の話はしないって言ったばっかりなので。それを生きる糧にして生きてきたわけなんですが、ちょうど今日の朝に最終回を迎えたのが「ひよっこ」なんです。乱暴なあらすじ紹介をするならば1964年に地方の若者共が労働者として上京してきた俗称金の卵のうちの一人、谷田部みね子(有村架純)の成長の四年間を描く物語です。もちろん毎日の楽しみにするだけあって、ただの日常をつづっているだけなのにどこか目を離すことができないすさまじい脚本力を見せつけられたのです。例えば、ビートルズが来日するときにチケット争奪戦が行われたわけなのですがその中でそれぞれの人間の出自からどのようにビートルズを扱っていくのか、戦争から生還したおじさんはかつての敵国であるイギリスのビートルズこそ未来の光であるとあこがれていたし、主人公のみね子はそんなおじさんのために何とかして懸命にチケットを手に入れようと奔走するし、お金持ちのボンボンはコネですぐに手に入ってしまったチケットを渡すことにためらいを覚えるし、時代のアイコン的な現象に際してその時代に生きていた人間たちが一人一人の事情をもってどのように感情を持っていたのかをうまく描いていたように思う。それとは変わって、みね子が初週からのあるテーマに関して途中で号泣するシーンがあるんですが、これはもう本当に心が痛くなる悲痛な泣きの演技で見ているのもつらくなってしまった。ていうか有村架純がかわいいんだよね。それは過分にあるけど。ですけどね、問題なのはですね、最終回にわたるまでのまとめ方なんですよ……。雑。マジで雑。結婚して家族になることがどうしても幸せの形として一元化されていて、登場人物を片っ端から恋人とともにさせるブルドーザー並みの回収効率でした。確かに時代背景的にはそれが幸せの典型として語られるものだったのかもしれない、けれどあまりにも唐突すぎる展開もあったし、それまで丁寧に丁寧に一つの思いを描くのに多くの時間を割いていたのにどうして人生の岐路となることに関してはそんなにもあっさりと終わらせてしまったのか。必ずしも結婚という形で幸せに小さくまとまる必要はなかったのではないか。新しい時代の到来を大きく描いていた今作が最後の最後に過去の価値観にとらわれた最期を迎えてしまうとはなんてことだ、てな感じに憂いていたのです。旧時代的価値観でのEDを迎えるのは仕方ないことではあるのかもしれないが、すべてを奏することで一気に陳腐になってしまったと感ぜざるを得なかった。いやだってマジで途中まで最高だったんだよな~……。朝ドラだからこそ描くことのできる日常の些細などうでもいいような感情の機微を一話かけてやったりとかしていて、こういうドラマが見たかったんだよなぁと思ったのだけど、いきなりはいはいはいキャンプファイアーは終わりですよー各自木片は回収してごみ収集作業に移ってくださいよーつってアナウンスされたみたいな冷や水ぶっかけられた感じでした。愚痴ばっかになったけど、最後に至るまでの140話くらいまで本当に外れ回ってのが存在しないくらいには面白いので見たことがない人は見ろ。有村架純がかわいいぞ。竹内涼真もかっこいいぞ。何より三男(泉澤祐希)っていうキャラが一番かっこいいと思うんだけどだれか共感してくれませんかね。有村架純がかわいいぞ。大事なことだからもう一度言うけど、僕は朝嫌いです。ばいばい、ひよっこ、ありがとう。

ファッションというか他人の意識

ファッションというのはよく分からないな。僕の感想はそれにつきますけれど、色々と脱オタクファッションやら何やら話題にのぼることも多いので言及してみることにします。ファッションなんていうのはオタク趣味の一種と信じて疑わない過激派教徒ファッショとして知られている僕なんですけれど僕がファッションを語るなんてアメンボが野菜の旬を語るようなものなので軽く聞き流してほしいんですけど、ファッションって一般的に受け入れられるものなんですかね。いやわかんないよ?だって詳しくないし。だからこそ言っているのだけどファッションに気を遣わない人間を嘲笑うのは、チェックシャツにジーパンなんだか全身黒づくめなんだか隅々迷彩なんだかしらんオタクファッションを糾弾するのは少し違うと思うんですよね。別にいいんじゃないですかね、ファッションに気を遣わない人間がいても。そりゃ全裸で盆踊られながらセンター街を闊歩されちゃあ踊らにゃ損損てな具合に踊りたくなってしまうから害悪なのかもしれませんけどそれは司法が取り締まってくれるはずなので外野がやいのやいのいうことじゃないです。ていうかそんな極論話しても仕方ないよな分かってるぜ相棒。要は三食カップラーメン生活をしている人間に干渉するような人がどれだけいるかという話なんですよ。他人の衣服に口を出すのならばちゃんと食住についても言及してやらなきゃダメでしょ。アラ恵さん本棚の上にホコリがたまっていてよオホホばりのおせっかいをする必要があるんじゃないですか。なんでそんなに人の衣服を気にするのかなぁとは思うんですが僕個人の考えとして人間はそれほど他人に興味がないという前提で話しますけど自分の服装が間違っていない自分のファッションセンスはパリで通じるからお呼びじゃねぇんだサンキュロットどもっていう感情の発露なんですよね。照れ隠しともいう。食に関してはそれほど言及したがらないのは多様性を認める土壌というか広汎にしてしかるべしという認識がすでに出来上がっていると思うんですよ、ほら日本人って何でも食べようとするじゃない蒟蒻とかさ。僕の慧眼によればそろそろコンクリートを齧り始める。そいでいて住に関しては分岐可能性というか多くのパターンを見ることはないしそもそも他人の家と他人そのものが合致している場合がほとんどないと思うので言及しようがないと思うんです。でも衣服に関しては毎日顔合わせるなら確実に目にするしどうしても目にしないって人間はよほどの耳フェチなんだなぁと思いますけど何が何でも気にならざるを得ないってことなんです。他人に興味がなくても視界に入ってしまうから考えざるを得ない、考えざるを得ないから思考は巡り巡って自分の服装はおかしくないだろうかという猜疑心に至るのです。それでいて自分の服装はおかしくないことの反証としておかしい服装の人間をあげつらうわけです。槍玉に挙げられる方はたまったもんじゃありませんローソンでファッション誌立ち読みでもしてろブレードランナーって感じ。これ言うに事欠いて下品な話、三大欲求も当てはまると思うんですよね。食欲睡眠欲性欲。性欲に関する話題あまりにも話題になりすぎじゃないかしら、もっとおいしいパン屋の話とかしよーぜ一番好きなパンは何?フライパン(いろいろな料理を作れるから)。自己の正当化のために他人を批評する姿勢が前に出てしまってるんじゃないかなと思うんですよね。食欲に関しては食と同様に寛容というかもちろん争いが絶えないことは絶えないんでしょうけど争うことに価値を見出す人がほとんどいないんじゃないでしょうか「パンが食えねぇならケーキでも食ってろアントワネット」ってパイ投げしながらぶちぎれてる人見たことないんで。グルメ漫画だったら食戟のソーマが好きですまぁ23巻以降読んでないんでもう連載終了してたらごめんなさいって附田さんの代わりに謝っておいてあげますけどあのバトルはフィクションだしな。睡眠欲に関しては知らん。「俺昨日三時間しか寝てないんだよね~」とか知らん。心底どうでもいいんじゃない?知らんけど。でも性欲の話めっちゃするじゃん、性と生き方みたいな話めっちゃするじゃん。正常とは何かみたいな議論めっちゃするじゃん。23ばんどうろにクィアの話題大量発生中じゃん。これって認識の問題なんだと思うんですよね、メタ的な視点に立ったらどうってことないと思うんですけど他人が何食ってようが馬鹿みたいに冷凍睡眠してようが究極何の関係もない。それでも口を出したがるのは自分を正当だと標榜しているからに他ならない、たぶんな。人間全体に投げやりにできる余裕ができたらこの話は終わると思っているのでそろそろファッションの話に戻ってもいいですかね勝手に脱線しといて戻るときだけ了解をとるのも変なので思うままにファッションについて語ります。そいでなファッションも同じように自己肯定の裏返しに他人を批評しがちになってしまうということなんだけど、肝要なのは他人のファッションを気にする奴は自分に自信がないからこそ口出ししがちなんだよな。もちろんファッションチェックする労働に従事している人たちはそれが仕事だからしてるんだけど料理研究家に認められるために三食食べてるわけじゃないから気にすることじゃない。だからやっぱり他人が他人の服装に口出しするのはナンセンスだしそれを気にするのはもっとナンセンスという考え方を持たないと毎日がしんどいんじゃないかなぁと思ってしまいますよ。オタクだからオタクファッションを糾弾されて落ち込んでしまうほうに感情移入してしまうだらしない先生ですまない。誰に向けてしゃべってんだかよくわからないですが自分が選んだ服が変だと思うなら自分で直せばいいと思うし友達でも何でもないのに「その服装をするのは恥ずかしい」って言ってしまうのは学名ヨネスケモドキが突撃隣の晩御飯する感じなのでめっちゃ迷惑だと思う。だって嫌じゃない?普通に飯食ってる横からお前のそのご飯はおかしいとか言われたら困るもん、お前はそう思うかもしれないけど俺は食うよ普通に美味しいしとしか思えないよ。お前に不快感を与えるようなくっさいイノシシのどぶ汁とかいただいてたなら謝るわ清潔感のあるファッションというかとりあえず洗濯はちゃんとするファーファする。そんな感じに考えていいんじゃねぇかなとも思いますがいかがでしょうか部長、棚上げしますがその後進捗いかがでしょうか部長。んまぁファッションに対する意識というか未だにおたかくとまってる高尚なもんなんかじゃなくて、なんてことないものなんじゃないかなとか思う人間の素養が出来上がり次第こうした話題も鳴りを潜めてしまうのかなぁと思って今のうちに胸中を文字にしたためておきました。ノブレスオブリージュ低俗は何も拘束しない。だからまファッションについてあれこれ口出しするのはやめてみんなユニクロのネットショッピングで快適に服選びをしよーな。あとドラム式洗濯機を買おうファーファも買っとけパッケージがかわいい。そんな感じです。